金九は平壌で何を見たのか
金九が平壌で何を見てきたのか、私たちは教わってきませんでした。 通説は、彼が分断を防ぐために38度線を越えたと言います。それは誤りではありません。彼は単独選挙にも単独政府にも反対し、実際に越えました。しかしその叙述は、彼が何を見て帰ったのかを落としています。 帰って二か月後の1948年7月11日、駐ソウル中華民国公使が予告なく訪れ、その会話を本国報告のために書き取りました。文書には「厳秘に付すべきこと」とあります。そこで金九は、南朝鮮のあらゆる努力をもってしても朝鮮赤軍に匹敵する軍は築けない、そして「ロシアはその軍をたやすく南進に使うだろう」と語ります。その十週間前、彼の党名が載った共同声明書は、撤退後に内戦は起こらないと確信すると宣言していました。 彼は七十一歳、金日成は三十六歳でした。 ※ ナレーションは韓国語です。日本語字幕があります。引用は韓国語からの訳ではなく、英語原文から訳しています。 ■ 史料 ・「金九・劉馭萬 会談記録」1948年7月11日 — ウィルソン・センター デジタルアーカイブ Record ID 119630 ・原所蔵 延世大学校 李承晩研究院 ・Charles Kraus, "Kim Koo on Reunification and War, 1948", NKIDP e-Dossier no. 19, Wilson Center, 2015 ・FRUS, 1948, vol. VI, The Far East and Australasia — Korea 編, Documents 779 · 782 · 783 · 786 · 791 · 794 · 800 · 849 ・国史編纂委員会 編『新編 韓国史』52 — 徐仲錫, 第3章第2節(4) ・<レベジェフ備忘録>17・18(『毎日新聞』1995年2月11日・14日)— 上記に再引用 ・国史編纂委員会「史料で見る韓国史」— 1948年 南北協商 声明書 ・『朝鮮日報』1948年4月22日 ・『白凡語録』(思想社, 1973)263~264頁 ・崔誠福「平壌南北協商の印象」『新天地』1948年(号数確認中)67頁 ・『現代日報』1948年4月15日 2面 — 国立中央図書館 大韓民国新聞アーカイブ control_no CNTS-00069125245 ・NARA RG 319, Entry 85A, ID File no. 573339 —「Kim Koo: Background Information Concerning Assassination」1949年6月29日/7月1日 ■ チャンネル ルポコリア(REPORTAGE KOREA)— 通説を史料に突き合わせ、食い違う箇所を正直に記録します。 引用と出典はすべて画面と概要欄に表記します。事実の誤りはコメントでご指摘ください。